より人間らしく生きること
「スピリチュアルってなに?」
と聞かれれば、僕は
「より人間らしく生きること」
と答えます。
そこにはキラキラ言葉で飾ったり、いわゆる“逃げ”や“慰め”の言葉はありません。
“善信仰”もありません。
また、光ばかりを追いかける“偽善者”にもなりません。
なぜならば人間だから。
怒り、悲しみ、嫉妬、ねたみ、恨み・・・
あって当たり前の感情です。
小さい頃、親が全てだった頃、
「怒ってはいけません」とか「人を恨んではいけません」とか、そういった、いわゆる“負の感情”と呼ばれているものに対し、ことごとく“躾”や“教育”をされてきたはず。
もちろん僕もそう。
しかし。
果たして本当にそうだろうか。
人間として存在する以上、そういった感情を抱くのは当たり前のこと。
そこまでは、みな同じだと思う。
違うのはその次からだ。。。
それらを“抑圧”するか、“解放”するか。
“解放”とはもちろん社会通念や常識といったルールの中でそれらを“適切に”表現していくということです。
喜び、愛、感動、思いやり、感謝・・・そういった気持ちと同じように扱うべきだと思うんですよね。
だって、自分が抱く、あなたが抱く純粋な感情だから。
関係性の鏡をみる
過去を振り返ると同じことばかりを繰り返して、悩んでいる・・といったことはないだろうか。
そっと自分の胸に手を当てて問いかけてみてください。
表面上で起こっている事柄はもちろん違うはずですが、その本質的なところでは同じことを繰り返している・・・ということが思い当たる人はラッキーです^^
ご本人にとっては、心の張り裂けるような辛い思いや行き場のない怒り、もうまるでお先真っ暗といった悲しみの中にいらっしゃる方もあるかもしれません。
しかしながら、そういう場合外面的なところにばかり目がいってないかどうか、相手や起こっている事柄ばかりに目がいっていないかを確認してみてください。
多くは、自分が無意識のうちに見ないようにしてきたその本質に行き着くと思います。
それは・・・
とても辛いです。
自分で意識的にも無意識的にも見ないようにしてきた自分の嫌な部分を見る事だから。
いいと思います。
どっぷりと“闇”にハマれば。存分に味わい尽くせばいいと。
そして、自分にもそんなところがあったのだと気づけばいいだけです。
それらを悪い事だとか、恥ずかしいことだとか、ジャッジすることは必要ないと思います。
客観的にそれらを見るということを心がけて。
5年かかりました、僕は(笑)
このブログを読んでくださっているあなたとお会いし、そういう話の機会があれば笑い話としてお話しましょう^^
僕はあなた、あなたは僕。
言っている意味、わかりますか?
たとえば・・・
いじめられてる子をみて見て見ぬふりをしたことはないですか?
小さい頃、蟻の巣に水を流し込んだり、壊したりしたことはないですか?
虫の足をちぎったりして遊んだことはないですか?
人を見た目で判断し、差別の心をもったことはないですか?
うわさ話だけでその人を嫌ったりしたことはないですか?
本当は自分がやった事なのに「やってない」と嘘をついたことはないですか?
・・・・「ない」とは言わせない。
過去や、今現在、殺意を抱くほど嫌いな人、あの人と同じ空気なんか吸いたくない!と思うような人がいれば、その本質を見るようにしてみればよいかと。
自分を赦すということ
先述のことに気づくと物事は変わっていくはずです。おのずと。自然な流れで。
だって、それは今まで見て見ぬ振りをしてきた自分を認め、赦すということに繋がるから。
内面が変われば、外で起きている事柄は変わります。
不思議ちゃん発言かもしれないが、自分の外で起きている事柄って幻影。
自分の内面・・・顕在意識、潜在意識にあるもの全てが投影されているに過ぎないんですよね。
では、その自分の内面の思い、感情、意思といったものはどこから来るのでしょうか。
突き詰めていくとそこに大いなる神秘が潜んでいるのですよね。
あ、また話がそれましたw
小さい頃からの記憶を辿っていってみてください。
今の自分の考え方や行動の癖はどこからきているのか探ってみてください。
親の躾の仕方や考え方を攻めるとかを言ってるのではないですよ。
親だってそのお父さん、お母さんからそういう教育をされてきたのですから。
そのお父さん、お母さんもそのまたお父さん、お母さんから・・・
「同じことを繰り返してばかりいる・・」そういったことはここらあたりからきてることが多いです。
精神科医のエリック・バーンのいう「交流分析」「人生脚本」といったあたり。
が、それも先に書いたように「だから駄目なんだ」なんて思う必要はないんですよ。
ただそれを認めれば、ただ「あ、そうだったんだ」と気づけばいいだけなんです。
そして、辛い思いをしていたならば「もういいんだよ。大丈夫だよ。」と過去のちいさな自分に声をかけてあげてください。
僕は涙が出ました。
気づき、自分を癒すのは大人となった自分自身、人間の責任でもあると思います。
また、そういう能力はだれにでも元から備わっています。
その在り方が「いまを生きる」「いまここに」というものに繋がっているのだとも。